はじめまして。こもれびと申します。働きながら、1人で両親の介護をしています。
このブログの最初の記事として、私の介護が始まった日のことと、なぜブログを書くことにしたのかを残しておこうと思います。
いま、親の介護が突然始まって途方に暮れている方がいたら。夜中に1人でスマホを検索している方がいたら。「同じところから始めた人間がここにいます」ということが伝わればうれしいです。
親の介護は、ある日突然始まった
私の介護生活は、母が脳出血で倒れた日から始まりました。
その日、帰宅すると、母が庭に倒れていました。いびきのような呼吸をしていて、咄嗟に「脳梗塞かもしれない」と頭に浮かび、救急車を呼びました。まだ秋口だったのに、ひどく寒かったように記憶しています。救急車が着くまでの間、気が気ではなく、「早く、早く」と心の中で祈っていたことを覚えています。
到着した救急隊員の方々は、横たわる母をストレッチャーに優しく乗せてくれました。救急車の中は暖かくて、それでも私は、ただ一刻も早く病院に連れて行ってほしくて仕方がありませんでした。隊員さんは何件も病院に連絡を取りながら、その間も私に状況を丁寧に聞いてくださいました。ようやく搬送先が決まっても、夕方の道路事情もあって、病院に着くまでが本当に長く感じました。
待合室にいる間、母がいまどうなっているのか、まったく分かりません。いろんな不安が頭をよぎるなか、ただただ待つしかありませんでした。
どのくらい待ったのか、記憶がありません。先生に呼ばれ、ベッドで横になっている母のそばで、状況を説明されました。
脳出血だったこと。手術のできない部位の出血のため、体調を考慮しながら薬で治療していくこと。半身が麻痺していること。もう普通の生活はできないこと――。いろんなことを、一度に説明されました。
翌日にはもう、相談員さんがついた
先生から病状を聞いた翌日、母に相談員(医療ソーシャルワーカー)さんがつきました。
これからのことが何も見通せないうちに、あれよあれよという間に、もう相談員さんがつくんですね。「相談員がつく」というのは、つまりそういう状態だということなんだ――そう分かったのは、後々のことでした。
相談員さんからは「家に帰るよりは、療養用の病院がいいでしょう」と言われました。
そもそも、療養用の病院って何?病院に種類なんてあるの?療養用のほかには何があるの?――当時の私は、そこからでした。
あとから知ったのですが、救急搬送されるような「急性期」の病院には、命の危機を脱したあと長くはいられません。その後の行き先として、リハビリに集中して取り組む「回復期リハビリテーション病棟」のある病院や、長期の医療的ケアを受けながら過ごす「療養型の病院(医療療養病床)」などがあります。
転院の話は、医師と相談員さんの間で、すでに療養型に決まっていたようでした。だから説明というより説得のような、「それでいいですね」という雰囲気で、話は進みかけていました。
でも私は、どうしても昔の母に戻ってほしかった。
それで、従姉妹と一緒にいろいろ調べました。そして従姉妹が見つけてくれたリハビリ型の病院に自分たちで相談し、母はそこへ転院することになりました。相談員さんの助言とは違う道を選んだことになります。あのときの私の答えは、「少しでも回復の可能性がある方へ」でした。
このとき悩みに悩んだ日々のことは、「もし私だったら――介護の選択に迷った日」に詳しく書いています。
こうして母の命は助かりました。でも半身の麻痺は残り、「もう普通の生活はできない」。ここから先の生活は、誰が支えるんだろう――私の介護は、この日から始まりました。
そして、父の介護が重なった
さらにわが家の場合、それだけでは終わりませんでした。
母が最初の病院を退院し、リハビリ型の病院に移って1か月ほど経ったころ。今度は父が「おなかが痛い」と言うので病院に連れて行くと、「すぐに大きい病院に行ってください」と言われました。胃がんのようだ、と。
そこから、父の闘病と母の介護が、同時に始まりました。
母の転院先探しでは従姉妹が力を貸してくれましたが、日々の介護そのものは、私1人で担うしかない事情がありました。働きながらの、手探りの両親の介護。それがいまも続いている、私の毎日です。
そのとき私が何も知らなかったこと
「要介護認定」も「ケアマネ」も知らなかった
いまだから正直に書きますが、当時の私は本当に何も知りませんでした。
- 「要介護認定」という言葉を知らなかった(介護保険は保険料を払っているだけの存在でした)
- 「ケアマネジャー」が何をしてくれる人なのか知らなかった
- 「地域包括支援センター」という場所があることすら知らなかった
- 病院に「急性期」「回復期」「療養型」といった種類があることも知らなかった
介護は、始まった日から待ったなしです。それなのに、何をどこに聞けばいいのかさえ分からない。あの心細さは、いまでもはっきり覚えています。
最初の1週間、私にできたこと
倒れた日、真っ先に電話したのは会社でした。「明日、休みを取りたい」と。母の実家へは父が電話をしてくれて、そこから母の兄弟へも連絡が回ったのだと思います。
その日の夜には、いとこが病院に駆けつけてくれました。状況は何も変わらないのに、来てくれただけで少し安堵したことを、いまでも覚えています。
そこからの1週間は、何をやっていいのか分からないまま、あっという間に過ぎていきました。やったことといえば、ただただ毎日、病院へ面会に行ったことだけです。
いま思えば、このころの私の頭にあったのは「治療」のことだけでした。母の容態はどうなるのか、少しでも良くなる方法はないのか――それだけです。「介護」という言葉は、かけらも頭にありませんでした。相談員さんと話をするうちに、これは治療の話ではなく、介護の話になっているのか……と、次第に分かっていったのです。
要介護認定やケアマネジャー探しといった「介護の手続き」が動き出すのは、もう少し先のことでした(このあたりの流れは、それぞれ別の記事で詳しく書いていきます)。だからもし、いま同じ場所にいる方がいたら。最初の1週間は、面会に行くことと、信頼できる誰かに知らせること。それだけでも十分だったと、いまの私は思います。
このブログで書いていくこと
あの日から、私は手探りの介護を続けています。失敗もたくさんしましたし、いまも知らないことだらけです。
それでも書くことにしたのは、4つの理由からです。
- 両親が生きていることの記録になるから。 大変な日々も含めて、親の人生の一部です。いつか振り返ったときに「こんな日々があった」と残るように書きます。
- 1人で介護している人に届いてほしいから。 「こんな風にやっている人もいるんだ」と、少しでも気が休まる場所になれたら。
- 介護する人・される人の環境が、少しでも良くなってほしいから。 私の失敗や遠回りが、誰かの近道になれば。
- 私自身も、教えてもらいたいから。 私は介護の専門家ではありません。「うちはこうしていますよ」と、ぜひ教えてください。
詳しい自己紹介はプロフィールに書きました。よろしければそちらもご覧ください。
同じ状況の人に伝えたい3つのこと
まだ介護3年目の私ですが、あの日の自分に声をかけられるなら、この3つを伝えます。
1. まず地域包括支援センターに電話すれば大丈夫。
何をどこに聞けばいいか分からなくても、「親が倒れて、これからどうしたらいいか分かりません」の一言で、そこから先は案内してもらえます。相談は無料です。
2. 1人で全部やろうとしなくていい。
介護サービスも、制度も、「頼るための仕組み」としてすでに用意されています。使うことは手抜きではありませんでした。私はそう思えるまでに時間がかかりました。
3. 「本人ならどう考えるだろう」を軸に、いろんな意見を聞いていい。
母は後遺症のため、感情を表すことも、こちらの言葉が分かっているのかどうかも、分からない状態でした。どうしてほしいのか、本人に聞くことができないのです。
だから私は、「母ならどう考えるだろう」を軸に、これからのことを決めていきました。もとの生活に少しでも戻りたいと思うんじゃないか――もしかしたらそれは、私自身の強い希望だったのかもしれません。それでも、ずっとそれを考え続けました。本当なら、こうなる前にいろいろ話しておけばよかったのかもしれません。でも突然のことで、その機会はありませんでした。
相談員さんや先生の助言に沿って決めるのも、もちろんひとつの道です。ただ私の場合は、セカンドオピニオンも聞き、多くの意見にあたって可能性を探ったことが、リハビリ型の病院への転院につながりました。同じ場所に立っている方に、可能性を探る道もあることを知っておいてほしいです。
まとめ 〜このブログの歩き方〜
長くなりましたが、最初の記事はここまでです。
- 私の介護は、母の脳出血から突然始まりました。父の介護も重なり、1人で両親を介護しています
- 当時は「要介護認定」も「ケアマネ」も知りませんでした。同じ場所にいる方、あなたのせいではありません
- このブログには、記録と、体験の共有と、「一緒に教え合える場所」を作りたくて書いていきます
これから、次のようなことを書いていく予定です。
- 介護の始め方 ― 要介護認定、ケアマネジャー選びなど、最初につまずいたこと
- 介護とお金 ― 実際にかかっている費用、使ってよかった制度
- 介護用品のレビュー ― 実際に使ったもの・レンタルしたものの本音
- 施設・サービス選び ― デイサービスなどの見学・利用の体験談
- 心のこと・日々の記録 ― 仕事との両立、しんどかった日のことも正直に
夜中に1人でこの記事を読んでいるあなたへ。ここまで読んでくださって、ありがとうございます。あなたのやり方も、いつかコメントで教えてください。
こもれび



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